
世界遺産検定3級
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本日は、世界遺産にに登録された墓所です。日本の世界遺産は「日光」、海外の世界遺産は中国の「始皇帝陵と兵馬俑坑」について学びたいと思います。
4級の学習内容はこちら

明治時代の神仏分離令で、日光の社寺は東照宮と二荒山神社(東照宮以外の神道の建造物の総称)、輪王寺(仏教関連の建造物の総称)に分かれた。
これらの建造物と、信仰の中で守られてきた周囲の自然環境が世界遺産に登録された。
建造当初は質素であった東照宮の本社は、寛永の大造替により権現造りの豪華絢爛な社殿に建て替えられた。
二荒山神社は二荒山(男体山)を御神体とし、山岳信仰の中心であった。
本社の本殿は日光山内に現存する最古の建造物で、八棟造りと呼ばれる建築様式はのちの権現造りに発展したとされる。
輪王寺は766年に勝道上人が創建した四本龍寺(しほんりゅうじ)を起源とする、日光山内で最古の寺院。
中心となる本堂(三仏堂)は日光山内で最大の建造物である。

三仏堂
*神仏習合:日本古来の神道と大陸伝来の仏教思想が融合されるなかで主張されるようになった宗教思想。平安時代には仏や菩薩が神の姿となって現れたとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が広がった。

写実的につくられた兵馬俑の高さは180cm前後で、ひとつひとつ表情や髪型、服装が異なる。
当時は赤や緑などの彩色が施されていたが、現在は剥落(はくらく)している。
最大の1号坑から出土した1000体以上の兵士俑や軍馬俑24頭は、東向きに隊列を組んでいる。
*史記:前漢の歴史家である司馬遷が書いた中国の歴史
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①日光の社寺(栃木県)
登録年:1999年 登録基準:(ⅰ)(ⅳ)(ⅵ) 江戸時代に発展した神仏習合の聖地 日光山は、8世紀末に修験僧(しゅげんそう)の勝道上人(しょうどうしょうにん)が開いた。 古くから日本固有の神道と外来の仏教を調和した*神仏習合(しんぶつしゅうごう)の聖地であった。 日光の社寺の中心的存在である東照宮は、江戸幕府初代将軍、徳川家康の遺言に従って天海(てんかい)が家康の神霊を祀るために建造した。さらに1634年から、3代将軍 徳川家光が「寛永の大造替(かんえいのだいぞうたい)」と呼ばれる大改修を行なった。 それ以降も改修が続けられ、江戸幕府の権威の象徴ともいえる社殿群が整えられた。

神仏分離令
明治新政府は神道の国教化を推進した。1868年に出された神仏分離令では神仏習合(神仏混淆)が禁じられ、神社から仏教色を排除することを命じた。これをきっかけに、幕末以来行われていた仏教迫害・弾圧の動きである廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が激化した。英語で読む世界遺産
Mount Nikko was a sacred site of fusion of Shinto with Buddhism from olden times. Here two shrines and a temple are registered. The Gongen-style gorgeous Toshogu enshrines the great Shogun, Tokugawa Ieyasu.②始皇帝陵と兵馬俑坑
登録年:1987年 登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ) 壮大な地下帝国を持つ皇帝陵 中国陝西省(せんせいしょう)西安(せいあん)の郊外にある始皇帝陵(しこうていりょう)、前221年に中国初の統一国家秦を建てた始皇帝の陵墓(りょうぼ)である。 多くの囚人や職人を動員し約40年かけて完成したとされる。 この陵は内外二重の城壁に囲まれており、全体は東向きの配置であった。敷地内には墳丘(ふんきゅう)のほか、神殿や祭祀施設があった。地下には巨大宮殿が存在するとされ、司馬遷(しばせん)の『*史記』には、床に水銀を流して川や海をつくり、天井には天体を描いて空を表していたという記述がある。 始皇帝陵の東がわ1.5kmにある兵馬俑坑(へいばようこう)は1974年に発見され、これまでに4つの坑がみつかっている。兵馬俑とは、兵士や軍馬をかたどった陶製の像で、始皇帝の死後の生活を守るために遺体とともに埋葬されたとされる。
③本日の練習問題
世界遺産検定3級の過去問題からの出題です。
[1]『日光の社寺』の中心的存在である「東照宮」は、徳川家康を祀っている。この本社の建築様式として、正しいものはどれか。 ①浅間造り ②権現造り ③書院造り ④寝殿造り [2]『日光の社寺』について、「東照宮」の本社を豪華絢爛な社殿に改修した人物( A )と、改修の名称( B )の組み合わせとして、正しいものはどれか ①A.徳川家光 ー B.寛永の大造替 ②A.徳川家光 ー B.享保の改革 ③A.空海 ー B.寛永の大造替 ④A.空海 ー B.享保の改革以下回答です
[1] ② [2] ① いかがでしたか?本日は世界遺産のお墓でした。 秦の始皇帝の陵墓と兵馬俑坑も大変なスケールですね。実際に地下にあったと言われる宮殿はどんなものだったのでしょうか。非常に興味深いですね。兵馬俑は8000体あると言われているそうです。髪型や服装もそれぞれ違うというのはすごい事ですね。40年かかったというのも納得です。 本日はここまでです。 また明日お待ちしています。 tomo ランキングに参加しています
