ご訪問ありがとうございます。
9月の世界遺産検定(3級または4級)を目指している方は、カテゴリーの過去問題3級または4級も学習の参考にしてください。
「行ってみたらこんなトコ」本日の行き先はフランスの「アヴィニョンの歴史地区」です。
私、何を隠そうフランス大好きです。一番訪れた回数の多い国です。
世界遺産名は『アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋』と言います。
世界遺産検定3級での出題は少ない方ですが、他の世界遺産の問題の解答の選択肢の中などには登場するので、ポイントを押さえておくと消去法に利用できます。
私は縁あって2回訪れていますが、例によってかなり前の記憶になります。。
とはいえ、この場所もなかなか興味深い歴史を持った街ですので、ぜひ今日の記事で覚えて帰っていただきたい世界遺産です。
①教皇庁があった場所
ローマ・カトリック教会の教皇庁といえば、同じく世界遺産の「ヴァティカン市国」ですよね。もしくは「ローマ」ですね。
ですが、14世紀に一時期このアヴィニヨンに移されたことがるのです。
その経緯についてはこうです。
フィリップ4世の治世であった14世紀頃に当時のフランスは、フランドル(北フランス・ベルギー・オランダ)に勢力を伸ばすべく、戦争を行なっていました。
膨大な戦費を調達するために、フィリップ4世は全国的課税を実施し税はキリスト教会にも課せられました。
当時の教皇ボニファティウス8世は、教皇こそが最高の権力を持つという教皇至上主義の考え方の持ち主で、この課税を禁じる回勅を出し、教皇はフランス王に対して命令することができると主張しました。
この辺りを背景として当時のローマ教皇ボニファティウス8世とフィリップ4世の間で激しい対立が起こりました。
フィリップ4世は、同じく教皇の反対派コロンナ家一族と共謀して、ボニファティウス8世を死に追い込みました。
フィリップ4世は次の教皇にフランス出身のクレメンス5世を擁立し圧力をかけた上、教皇庁をアヴィニョンへ移転させました。
以降68年間、アヴィニョンで7人の教皇がフランス王国の監視下に置かれた時代は「教皇のバビロン捕囚(ほしゅう)」とよばれています。
②教会大分裂
アヴィニョンに教皇庁が移ってから、7人目となる教皇グレゴリウス11世はシエナのカタリナの助言によりローマに戻りました。
これによりアヴィニョン捕囚の期間は終わりましたが、グレゴリウス11世はその翌年に逝去しました。
ローマで新たに教皇ウルバヌス6世が選出されましたが、アヴィニョンにも教皇(クレメンス7世)が擁立されました。
これによってローマとアヴィニョン共に教皇が並び立つ大シスマ(教会大分裂)が起こりました。
その後、なんやかんやあって対立教皇は3人にまで増えたりしましたが、、、
1414年から1418年にかけて神聖ローマ帝国内のコンスタンツ司教領で開催されたカトリック教会の公会議(コンスタンツ公会議)により対立教皇を廃し、一人の正統なローマ教皇を立てることで教会大分裂(大シスマ)を終結させました。
すったもんだの歴史でしたね。。。
③見所となる建造物など
アヴィニョンの教会の中心となる「ノートルダム・デ・ドン大聖堂」は12世紀に建造され、その後アヴィニョンの歴代教皇の手で増改築されました。
ロマネスク様式の大聖堂で、西側の鐘楼の上のゴールドに輝く聖母マリア像は1859年に据えられました。
聖堂内には、15世紀に描かれたフレスコ画や八角形のドームなどの見所があります。
「教皇庁宮殿」は、アヴィニョン3代目の教皇ベネディクトゥス12世により建設されました。
ゴシック様式の宮殿内は、当時の栄華を伝える大広間、礼拝堂、内庭回廊があり、貴重なフレスコ画で飾られた教皇の私室なども公開されています。
街のシンボルである「サン・ベネゼ橋」は、12世紀にアヴィニヨンの城壁の外側にあるローヌ川建造されました。
ルイ8世がアヴィニョンに攻めてきたときに、橋の4分の3が破壊されましたが、市民らにより再建されました。
17世紀初め洪水により崩壊し、修復を目指すもペストの流行で、工事が中断しました。
そのうち、別の橋の建設もあり修復されることはありませんでした。
一般にはアヴィニョンの橋として知られていて、フランス民謡「アヴィニョンの橋の上で」で親しまれています。
④アクセス
アヴィニヨンはフランスの南東部にあり、パリからリヨン経由で南下してくるのと、ニースやマルセイユ方面から西に向かって移動するのとがちょうど交わる場所になります。
フランス国内の高速鉄道TGVで到着することになると思います。
しかし、TGVで到着する「アヴィニョンTGV駅」と教皇庁の最寄駅「アヴィニョン中央駅」の2つの主要駅があるので注意です。
私は初めてのアヴィニョン訪問時には、たまたま気が付いて、気をつけなければいけないと思ったのですが、
2回目にニース方面からレンタカーで移動した時に、実際に行きたかったTGV駅ではなく、中央駅で返却することが判明して、TGVの時間に乗り遅れそうになりめちゃくちゃ焦った思い出があります。
次の場所で待ち合わせの予定があったのですが、相手との連絡手段がなかったので何としてもそれに乗らなければいけないという状況でした。
割と余裕を持って行動するタイプなので、なんとかことなきを得ましたがあれは焦りました。
また余談が長くなりましたが、因みに、TGV駅と中央駅はバスで移動できます。
世界遺産の歴史地区であるエリアは、「アヴィニョン中央駅」を出ると目の前です。
以前紹介したカルカッソンヌ同様に城壁に囲まれた街です。
思い出したらまた行きたくなってきました。
⑤練習問題
あまり出題が多くなく、本日は1問のみです。
◆「キリスト教」に関し、ローマ・カトリック教会の重要な拠点が一時期おかれていた「アヴィニヨンの歴史地区」に残る、当時の歴史を物語る建造物として、正しいものはどれか。
①教皇帝宮殿
②アルハンブラ宮殿
③フォンテーヌブロー宮殿
④サンスーシ宮殿
いかがでしたでしょうか?
3級学習のリンクも貼っておきます。
宗教分裂、宗教改革(アヴィニョン・ルター記念建造物群)
城壁に囲まれた街は情緒があって大好きです。過去の訪問時には私自身に世界遺産という概念が価値観としてなかったので、なんとなく街並みや見所を散策して終わりました。
2回目に歴史地区を訪れたのは、同じく世界遺産ポンデュガールに向かう途中にランチをしてブラブラした感じでした。(友人の結婚式のイベントの1つでした)
というわけで本日は観光情報は少なめで、学習に特化した内容となりました。
世界遺産を学んでいくと、それぞれの歴史が徐々に繋がっていくところが面白いですね。
私はヨーロッパ方面への旅が多いので、特に宗教関連や領土を巡って争った時代の流れなどがつながるとちょっとした感動を覚えます。
これからも少しずつ知識を増やしていきたいと思います。
そのためにもたくさん旅をしたいな、と思う今日この頃です。
ではまた。
tomo
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