「潜伏キリシタン関連遺産」行ってみたらこんなトコ

世界遺産検定3級
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本日もご訪問ありがとうございます。

9月の世界遺産検定(3級または4級)を目指している方は、カテゴリーの過去問題3級または4級も学習の参考にしてください。

「世界遺産に行ってみたらこんなトコ」本日のお題はざっくり「潜伏キリシタン関連遺産」としておりますが、
具体的には「原城跡」「崎津集落」「大浦天主堂」です。
世界遺産登録名は『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産群』。
日本の世界遺産の中では比較的登録年の新しい世界遺産です。
構成資産も多くなっていますが、3級の学習では関連時期と関連資産を照らし合わせて覚えるのがポイントになります。

私が訪れた時期は、世界遺産登録前だったものもありますが、この貴重な歴史を持つ資産が世界遺産に登録されたという事は本当に喜ばしい事だったと思います。
今回は、私が訪れた3つの構成資産についてご紹介しています。

①「原城跡」に行ってみた

ここは「島原・天草一揆」の舞台で、いわゆる潜伏キリシタンの「始まりの場所」です。
城的なイメージはなく広い敷地の台地といった場所でした。37,000人(推定)といわれる一揆軍が全滅した最後の場所、というには閑散として、なんとも言えない気持ちにでした。

ここでの学びはキリシタンが潜伏するまでの経緯です。
キリスト教が日本に伝来したのは16世紀半ばのこと。
イエズス会を創設した聖フランシスコ・ザビエルにより伝えられた事は皆さんもご存知だと思います。

その後宣教師とキリシタン大名(洗礼を受けて信徒となった大名)との結びつきが強くなりました。
当時天下統一を果たした豊臣秀吉は、大名が宣教師に領地を譲ってしまうなどの不都合な事態を回避すべく、宣教師を国外へ追放するような動きを見せました。
そして、徳川家康の時代になり当初黙認されていたキリスト教も、その徳川体制を確固たるものとすべく全国に禁教令が出されることとなりました。

関ヶ原の戦いの後、当時キリシタン大名が統治していた島原や天草でキリシタンの弾圧が行われるようになりました。
島原では、キリシタンへの弾圧とともに、農民への厳しい年貢の取り立てが行われていて、年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンに対し拷問・処刑が行われていたそうです。

キリスト教への弾圧に対するキリシタンと厳しい収奪に反発した農民たちにより、一揆がおこりました。
そして、数日後に起こった天草四郎が率いた天草の一揆の軍が、島原の軍と合流して、日本の歴史史上最大の一揆となりました。

原城跡は、キリシタンたちが天草四郎を総大将として幕府軍と戦った「島原・天草一揆」の主戦場です。
一揆軍は3ヶ月に及ぶ籠城の終盤には兵糧攻めにあい、最終的には1638年4月11日から12日にかけての幕府軍の総攻撃で全滅しました。

そして、この後に海禁体制(鎖国)が確立し、幕府による厳しいキリシタン取り締まりも行われ、潜伏キリシタンの歴史が始まることとなりました。

 

②「崎津集落」に行ってみた。

潜伏キリシタンが形成された時代の集落です。

天草は、熊本県の西方にある島になっている地域です。潜伏キリシタンに関する資料館が複数あります。

当時のキリシタンたちがどのように信仰を続けたのかなど詳しく知ることができます。
また、島原・天草の乱に関する経緯などが詳しく解説された苓北町歴史資料館も歴史に興味のある方にはおすすめです。
キリシタンや農民が起こした一揆に、反幕府の浪人も参戦していたなんていうプチ情報もあったりします。

 

さて、世界遺産の学習に戻ります。
島原・天草の乱によって天草は荒廃しましたが、﨑津を含む下天草の人々は参戦しなかったことで、処罰される事はありませんでした。
﨑津は外界と隔絶していたため乱を知らなかったそうです。なんとも。。。。
キリシタンは表向き仏教徒を装うようような生活をして密かにキリスト教信仰を続けており、特に海路しか交通手段がなかったこの場所は、隠れ住むのに適した場所であったと言えます。

そして、その後はさらに潜伏キリシタンが信仰を隠しやすい場所である、五島列島の島々への移住が行われました。
密やかにではありますが、信仰は維持され拡大して行きました。

③「大浦天主堂」に行ってみた

ズバリ、信徒発見の場所です。
「明治日本の産業革命遺産..」の構成資産でもある「旧グラバー住宅」が近くにある西洋建築のカトリック教会です。
坂を上がっていくと徐々に見えてきます。白い壁が青空に映える、可愛らしいたたずまいです。

正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」といい、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者である「日本二十六聖人」に捧げられた教会堂でした。
建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちも見物に訪れていたそうです。
1865年、3月17日、浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白したました。

プティジャン神父はその後、浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努めたそうです。
浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことを知り、「信徒発見」のニュースはやがて当時のローマ教皇にも知らされました。

こうした流れで、潜伏キリシタンの存在が国内外で知られるようになりましたが、キリスト教禁教令は直ぐに解かれたわけではなく、明治の初め頃までにはキリスト教黙認が黙認される中で、事実上の廃止という流れだったようです。

教会内部はステンドグラスが美しくて、信徒発見の瞬間を思いながら、いつまでもその時間を感じていたくなるような居心地のよい場所でした。

④練習問題

世界遺産検定3級における、この世界遺産については、少し難しい問題も出題されるなと感じています。本日は3問の練習問題をご用意しました。

◆『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産( A )と、関連する出来事( B )の組み合わせとして、正しいものはどれか。

①A.勝連城跡 ー B.島原・天草一揆
②A.勝連城跡 ー B.一国一城令
③A.原城跡 ー B.島原・天草一揆
④A.原城跡 ー B.一国一城令

◆『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産群』に関わる出来事を、起こった順番に並べたものとして、正しいものはどれか。
A.信徒発見
B.五島列島への移住
C.島原・天草一揆

①C ⇒ B ⇒ A
②A ⇒ B ⇒ C
③B ⇒ A ⇒ C
④C ⇒ A ⇒ B

◆『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』に関する説明として、正しいものはどれ

①構成資産には英国人商人トーマス・グラバーの邸宅も含まれる
②平戸は「島原・天草一揆」の主戦場となった
③潜伏キリシタンたちは、信仰を隠すために東北地方に移住した
④潜伏キリシタンが信仰を告白した「信徒発見」は大浦天主堂で起きた

 

いかがでしたでしょうか。
学習リンクも載せておきます。
他の関連資産のご参考にどうぞ。
アジア諸国へキリスト教の広がり(潜伏キリシタン・ゴア)
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

本日は紹介しなかった構成資産にも近いうちに訪れたいと思ってはいますが、何せ全部で12ありますからね。これはなかなか苦労しそうです。
短時間(関西出発で2泊くらい)で回れるテクニックをご存知の方がいらっしゃいましたらぜひ、ご教示いただきたいです。
よろしくお願い致します。

では、また。

tomo

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