ご訪問ありがとうございます。
本日も私が過去に訪れた世界遺産を紹介しながら、世界遺産検定を学習する「行ってみたらこんなトコ」企画やってます。
早くもネタ切れしそうな勢いなのでどこまで続くことやら。
9月の世界遺産検定(3級または4級)を目指している方は、カテゴリーの過去問題3級または4級から学習を進めてみてください。
本日ご紹介します世界遺産は『石見銀山遺跡とその文化的景観』に登録されている石見銀山です。
数日前に書いた記事の「厳島神社」の後に訪れた場所です。2018年の秋のことです。
兵庫県から車で、広島と島根を巡りました。
ちなみに島根には何度か訪れていますが、石見銀山にはその時の1度しか行けていません。
あまり時間がなくて3時間ぐらいの滞在時間でした。
少し離れた場所に「石見銀山 世界遺産センター」があって、そこによって歴史を学んでからの遺跡巡りでした。
本日も私の薄い記録を、世界遺産検定の学習で肉付けしながらお送りします。
①石見銀山とは
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山です。
出雲大社で有名な島根県にあります。
今は閉山していますが、最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されています。
世界の銀の3分の1ってだけでも驚きなのですが、輸出先はアジアだけではなくポルトガルやスペインなどのヨーロッパも含まれているというから、かなりの規模を誇っていたことは間違いありませんね。
世界遺産としての価値は「文化的景観」としても認められた、自然と調和した世界に類を見ない鉱山であるというところです。
「山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」というのは石見銀山の特徴でもあります。
中でもその手掘りの坑道は「間歩」と呼ばれ、現在でも一部は見学のできる状態に整えられています。
私の訪れた全長600mと言われる「龍源寺間歩」は、通年で一般公開され内部を見学できます。
観光者用の駐車場当たりでレンタサイクルするのがオススメではありますが、間歩の入り口までは上り坂が続くので、体力に自信のない方にはやや辛い移動となると思います。
因みに歩くと30分ほどかかります。
世界遺産としてさらに特筆すべきは、今紹介した間歩や、銀山跡の遺跡だけではなく、街並みや街道、港と港町など広範かつバラエティーにとんだ構成資産を含んでいます。
つまり、当時の鉱山を中心とした社会基盤整備も含めた鉱山運営の全体像や変遷を表す点が産業遺産として評価されているということだそうです。
私は銀山周辺を散策したのみでしたので、次回はその港町なども巡りたいですね。
世界遺産としての魅力満載ながら、世界遺産検定受験者泣かせの構成資産の多さとなっていますので、2級の試験からはこの構成資産を覚えるのは難儀するに違いないです。
②歴史
ほぼ暗記できるくらいにどこにでも出てくる内容それは
「石見銀山は14世紀初頭に大内氏が最初に発見したと伝えられる」です。
大内氏についてよくわからなくても頭の中にインプットされてしまうこの文章から石見銀山の歴史が始まります。
大内氏がなぜフルネームでないのかは謎ですが、「大内氏第8代当主の大内弘之(おおうち ひろゆき)」のことらしく、この方は鎌倉時代後期から南北朝時代の周防国の武将だそうです。
大内氏発見後もすぐには開発が進められることはなかったようで、その後16世紀に博多商人の神谷寿禎により開拓されていったようです。
神谷寿禎は朝鮮半島から宗丹、慶寿という二人の技術者を招き、新しい精錬技術である「灰吹法」を導入しました。
その結果、銀の産出量は大幅に増加し、コスト削減もなされたことで、安価な日本銀を求めて中国やポルトガルといった外国船がやってきたそうです。
17世紀初頭には最盛期を迎えました。
この『灰吹法』は鉱石を一度鉛りに溶かしてから銀を取り出すという技術で、後に佐渡や生野など日本各地の金山・銀山にも伝わり、日本はかつてないシルバーラッシュを迎えることとなりました。
さて、戦国時代にはこの宝の山の領有をめぐって、大内氏・尼子氏・毛利氏によりしばしば争いが起こったそうですが、江戸時代に入り徳川家康がここを接収して幕府の直轄地としました。
銀は幕府の重要な財源のひとつとなりましたが、その後の鎖国政策によって、海外で発展した新技術の導入も遅れ、さらに採掘量も減少し、大正時代には休山となりました。
③アクセスと見所
「見所」については、申し訳ないですが、「間歩」と「街並み」くらいしか自分がみておらず、かけないのでこのブログを読んでいる方で、我こそはという「石見銀山通」の方がいらしたら、お知恵をお借りしたところです。
ぜひコメント欄へ!!
他の世界遺産同様、ガイドツアーなどはあるようですから、そのあたりを利用していただければ良いのではなかろうかと。
石見銀山ガイドの会
さて、アクセスについてですが、最寄りで起点となるのはJR大田氏駅で、石見交通の路線バスを利用して「世界遺産センター」や銀山散策の拠点となる「代官所跡」にアクセスできるようです。
広島駅からも「石見銀山号」なるバスが1日2本出ているようです。
時間に追われずにそういう移動も羨ましいなと思うところですね。
ただ、先ほども書いたように構成資産が多岐にわたる世界遺産ですので、鉱山のあるエリア、街道・山城エリア、港町エリアなど隈なく散策するならば、レンタカー(車移動)一択ではなかろうか、、と思うところです。
私も機会があれば、また時間をかけて訪れたい場所です。
島根県は東西に長く、石見は山口県よりなのでなかなか関西から足の伸ばしづらい場所ではありあます。
夏休みなどの繁忙期には大阪空港から萩・石見空港にフライトがあるようなのでそれを利用するのが良いかもしれませんね。
世界遺産ではありませんが、萩津和野観光なんかも合わせるのが良いのかな、なんて想像しています。
④練習問題
石見銀山に関しては、3級の問題は内容が定番化しているのでまずはこちらから。初見の方はちょっと戸惑う引っ掛け問題です。
◆『石見銀山遺跡とその文化的景観』の説明として、正しくないものはどれか。
①石見銀山は14世紀初頭に大内氏が最初に発見したとされる
②17世紀ごろ日本が世界に輸出していた銀の多くが、石見銀山で採掘された
③16世紀に新しい製錬技術である灰吹法が導入された
④「間歩」と呼ばれる銀や物資を運搬する街道も世界遺産に登録された。
いかがでしょう、迷わなかった方は読解力が高い方ですね。
間違っているのは④です。「間歩」は坑道であり街道ではないということです。少し意地悪な問題でした。
3級の学習リンクも貼っておきます。
銀鉱山関連の産業遺産(石見銀山・ポトシ)
では、ついでに「文化的景観」に関する問題をもう一問。
◆文化的景観の説明として、正しいものはどれか。
①宗教や習俗など地域文化の独自性が強く示された景観
②人間の立ち入りを禁じ、ありのままの状態を残した景観
③自然的な要素が何もない人工的な景観
④自然の要素が人間の文化と強く結びついた景観
はい、いかがでしょう。
学習リンクはこちらです。
文化的景観
こちらも正解は④でした。
ということで、本日はここまでになります。
実は、世界遺産の学習をするまでその存在すら知らなかったのがこの「石見銀山」。
本当に失礼な話で申し訳ありませんが、世界遺産を通して出会えた街ということで、とても貴重な存在です。
2級の学習では構成資産もしっかり勉強させていただきます。
では、また。
tomo
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