「平泉」行ってみたらこんなトコ

世界遺産検定3級

ご訪問ありがとうございます。

本日の「行ってみたらこんなトコ」企画は岩手県にある中尊寺を構成資産にもつ「平泉」です。
世界遺産名は「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群ー」ってなにやら長い名前が付いておりますが、構成資産が5つという、検定試験受験者に優しい世界遺産となっております。

とはいえ、試験で問われるポイントは割と多かったり、他の世界遺産にも絡められることが多いので、しっかり抑えておくと点数アップにつながる世界遺産となっています。

今日の記事は、4級と3級の内容を入れ込んでいますので、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
9月の世界遺産検定(3級または4級)を目指している方は、カテゴリーの過去問題3級または4級も学習の参考にしてください。

さてでは、まいりましょう。

①平泉ってどんなトコ

平泉は岩手県の南西部にある古くからの地名で、現在の岩手県西磐井郡平泉町の中心部に当たります。
地域一帯には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の名で、2011年世界遺産文化遺産に登録されました。

平安時代末期に釈迦の教えが行われなくなる時代が到来し世が乱れるという末法思想が広まり、極楽浄土への往生を希求する浄土思想が貴族を中心に流行したそうです。
そんな中、奥州藤原氏により浄土信仰に基づいた理想郷として築き上げられたのが、「平泉」というわけです。

②歴史と構成資産

奥州藤原氏の繁栄した時代というのは、わずか100年という短さでした。

中尊寺はもともと嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれました。
そして、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡によって大規模な堂塔の造営が行われました。
清衡の中尊寺建立の趣旨は東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。
清衡自身も、後三年の役の中で妻子を含む一族を失っています。
それでも1087年、清衡32歳の頃にこの地方を支配して奥州藤原氏の祖となったとのことですので、立派ですよね。

中尊寺の中でも金色堂(国宝)は創建当初のまま残る唯一の建造物です。
極楽浄土の有様を具体的に表現するべく、内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分にはシルクロードからもたらされたとされる夜光貝を用いた螺鈿細工が施されるなど、当時の工芸技術が集約された御堂となっています。
須弥壇(しゅみだん)内には藤原氏3代(清衡、基衡、秀衡)の遺体と4代泰衡の首級(しるし)が納められているそうです。

ちなみに金色堂は外から一見すると、全くわかりませんが、この中に入っています。

中尊寺といえば金色堂ですが、その他にも多くの寺院や御堂で構成されています。
駐車場からはそこそこの上り坂を歩いて行くことになります。
紅葉の時期は色づいた木々のトンネルといった感じの参道です。

平泉といえば、忘れてはいけないのが松尾芭蕉の「おくの細道」ですね。
松尾芭蕉は、この金色堂に立ち寄った際に「五月雨の降のこしてや光堂」という句を読んでいます。
ということで、「芭蕉翁句碑」があったり、こっそり立ってたりします。

さて、私が中尊寺の次に向かったのが「毛越寺」です。
毛越寺は、2代基衡が再興した寺院浄土庭園が残っているとされますが、中尊寺同様、同慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されたということです。

当時あった建築物は、その後の戦火により焼失してしまったとのことですが、「大泉が池」を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構については、ほぼ完全な状態で保存されているそうです。

平泉観光では「中尊寺」「毛越寺」を中心に回ることが多いのではないでしょうか。

 

今日は、残る3つの構成資産についても、ご紹介していきます。

「観自在王院跡」は二代基衡の妻が建立したと伝えられる寺院跡で、極楽浄土を表現した庭園が残っています。
平安時代に書かれた日本最古の庭園書『作庭記』に基づき造られたとされています。

毛越寺よりひとまわり小さい池があり、阿弥陀堂などの建物もあって、それなりに史跡公園として管理されている感じはしました。

 

さてお次は「無量光院跡」三代秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡と言われていますが、もはや影も形もない(涙)
といった印象の庭というか、敷地といった感じでした。工事をしていたので、今後整えられて行くのかもしれませんが。。。

本当に残念でなりませんが、寺院は13世紀ごろに焼失してしまったそうです。
調査に基づき導き出された建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした、浄土庭園の最高傑作と言われているそうです。
予想図があったので、写真に収めておきました。

最後は「金鶏山」です。中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する円すい状の山で、頂上には経塚があるそうです。
平泉中心部から見る事ができる小高い山で、街をつくる上で基準となった象徴の山で重要な意味を持ったそうです。
私は山登りまではしていませんが、入り口まで行きました。

松尾芭蕉は金鶏山にも訪れたようで「金鶏山のみ形をのこす」とこの山の印象を記しているそうです。

また、登り口付近には、義経妻子の墓と伝えられる五輪塔があります。

ここで藤原氏の滅亡の流れの中で出てくる史実として伝えられる、ストーリーに触れないわけにはいけませんね。
源義経は源頼朝と対立し命を狙われ藤原秀衡を頼りに奥州に亡命してきたわけですが、かくまってくれた三代秀衡の死後、跡を継いだ泰衡により自害に追い込まれてしまったそうです。
もともと奥州と鎌倉でいざこざがあったようですが、義経を討ち取ったところで、泰衡率いる奥州はその後も頼朝との対立は解消することなく、攻め入られてしまいました。
なんやかんやあって泰衡は平泉を放棄して逃げてる最中に部下の反逆によって命を落とします。

そんな、なんとも言い難いちょっと深入りしたことを後悔してしまいそうな、奥州藤原氏の最後の時は1189年のことだそうです。
ということで、初代清衡から4代泰衡までの約100年の栄華はこうして幕を閉じました。残念。

 

③アクセス

一番距離のある中尊寺までを含めても「平泉駅」から、徒歩圏内ではあります。
ただし、歩くのが好きな人に限ります。

平泉駅に、レンタサイクルがあるのでそれが1番のオススメです。
平泉駅から中尊寺まではバスでもいいかもしれません。何れにせよ入り口から金色堂のあるエリアまでは結構歩きます。

私は、いわて花巻空港からレンタカーをして1日で回りました。
大阪からの日帰りで行きました。足早に回ることにはなりましたが余すことなく観光できました。
他にも観光場所のある岩手県、いい温泉地もあるらしいので1、2泊しながらゆっくり観光するのもいいですよね。

④練習問題

本日は2問。少しひねった問題も選んでいます。

◆『平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産ー』に関する以下の文中の語句で、正しくないものはどれか。平安時代末期、平泉を拠点とした(①奥州藤原氏)は、この地に(②浄土信仰)に基づく寺院を設立し極楽浄土を現世に実現しようとした。構成資産には金色堂と呼ばれる仏堂を持つ(③中尊寺)や、2代基衡が再興した寺院で(④蓮華種菩薩)が残る毛越寺などが含まれる。

①奥州藤原氏
②浄土信仰
③中尊寺
④蓮華手菩薩

◆日本で初めて文化的景観の概念が認められた『紀伊山地の霊場と参詣道』に含まれる3つの霊場として、正しくないものはどれか。

①金鶏山
②吉野・大峯
③熊野三山
④高野山

はい。以上です。

今日はちょっと大作になってしまったので、読むのが大変でしたね。
申し訳ない。。。

これに懲りずにまたお越しいただけると嬉しいです。

では

tomo

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