基礎知識②世界遺産誕生までの流れ

世界遺産検定2級
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この記事は世界遺産検定2級学習用に構成しています。

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本日は、世界遺産が誕生するまでの歴史を中心に振り返ります。
世界遺産検定2級試験でも出題頻度の高い内容となります。

①世界遺産が誕生するまで

世界遺産条約ができるまでは、「文化財の保護」と「自然保護」は別々の枠組みで行われていました。
「文化遺産と自然遺産をひとつの条約のもとで保護する」という概念は、世界遺産の大きな特徴となっています。

<文化遺産の保護>

文化財は、そもそも個人(王家や貴族)などに属するものと考えられることが一般的でした。
文化財が文化や歴史に裏付けられた「集団」に属する公共の財産であるという考え方は19世紀以降のヨーロッパでようやく誕生したといわれています。
しかしながら、集団に属する遺産と考えられたのは「文化的な記念物や遺跡など」に限られ、個人の住宅や街並みなどは含まれていませんでした。

1931年、ギリシャのアテネで第1回「歴史的記念建造物に関する建築家・技術者国際会議」が開催され、記念物や建造物などの保存や修復に関する基本的な考え方を示したアテネ憲章が決議されました。
アテネ憲章では、のちの世界遺産条約の考えにつながる歴史的な建造物の維持や保存の重要性についての概念出されたものの、その修復方法においては近代的な技術や材料の使用を認めている点が、世界遺産条約とは大きく異なる点でもありました。

第二次世界大戦において、各国は遺産や記念建造物の保存の重要性とその保護の難しさに直面することとなりました。

1954年にユネスコは、オランダのハーグにて、武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)を採択し、国際紛争や内戦、民族紛争など、非常時における文化財を守るための基本方針を定めました。

1964年に第2回「歴史的記念建造物に関する建築家・技術者国際会議」がイタリアのヴェネツィアで開催され、アテネ憲章を批判的に継承したヴェネツィア憲章が採択されました。
ヴェネツィア憲章では、アテネ憲章で示された記念物や建造物の保存・修復の重要性を引き継ぐ一方で、修復の際には建設当時の工法や素材を尊重すべきという真正性という概念が示されました

そして、翌年の1965年には、ヴェネツィア憲章の考えに基づき、*ICOMOSが設立されました。
*ICOMOS(イコモス:国際記念物遺跡会議)

<自然遺産の保護>

自然遺産の保護についての歴史は古く、世界遺産条約誕生よりも100年前に当たる1872年には、アメリカ合衆国で自然保護を目的とした世界最初の国立公園が誕生しました。
それが、「イエローストーン国立公園」で、のちに世界で最初に登録されることとなる世界遺産です。

この国立公園の自然保護で重要とされたのが、手つかずの自然「Wilderness(ウィルダネス)」という考え方で、これはその後の世界遺産の自然保護の考え方にも受け継がれています。

そして、第二次世界大戦後まもない1948年にはユネスコの主導で*IUCNが設立され、国や民族などを超えて自然を守っていくという方法が整えられました。
*IUCN(アイユーシーエヌ:国際自然保護連合)

<文化遺産と自然遺産をひとつの条約のもとで保護>

1960年代に入ると、経済開発と遺跡や自然の保護に関する問題が表面化するようになりました。
それにより文化財と自然の保護を分けて考えること自体が現実的ではなくなりました。
そして「ヌビアの遺跡群救済キャンペーン」という出来事を経て、文化遺産保護と自然遺産保護の流れは、1972年スエーデンのストックホルムで開催された国連人間環境会議でひとつにまとめられました。
同年11にはユネスコ総会にて「世界遺産条約」が採択されたのでした。

②ヌビアの遺跡群救済キャンペーン

のちに世界遺産条約の理念に大きな影響を与えたのが、エジプトのナイル川沿いにあるアブ・シンベル神殿からフィラエまでのヌビア地方にある遺跡群の救済キャンペーンでした。

1952年、エジプト政府が国家の近代化と国民の生活向上のためにアスワン・ハイ・ダムの建設計画を策定しました。
もともとナイル川では毎年川の氾濫が起こっていたようで、それを解消する意味があったようです。
しかし、その計画を実行すると、アブ・シンベル神殿フィラエのイシス神殿などヌビア地方の遺跡群がダム湖に水没することがわかりました。
そこで、当時のナセル大統領はユネスコに救済を依頼しました。
ユネスコは、経済開発と遺産保護の両立という難題に取り組むべく、遺跡救済キャンペーンを1960年より開始し、1964年に本格的な募金活動が始まりました。

この救済キャンペーンは、単にアブ・シンベル神殿が救済されてよかったよかったというだけではなく、一国の遺産の救済に約50ヵ国もの国々や、民間団体、個人が協力したことで、のちに世界遺産条約の理念にもつながる「人類共通の遺産」という理念が生まれました。

ユネスコはこの事例を受けて、1968年に文化遺産の保存と経済開発の調和を図ることは各国の義務であることを強調する「公的または私的の工事によって危険にさらされる文化財の保存に関する勧告」を採択しています。

この他にもユネスコは、地盤の悪化により水没しつつあるイタリアのヴェネツィアに対する救済キャンペーンや、風雨にさらされたことにより劣化の進んでいたインドネシアのボロブドゥールの仏教寺院群に対する1968年からの救済キャンペーンなどを行なっています。

③練習問題

[1]「ヌビアの遺跡群救済キャンペーン」に関する次の文中の語句で、正しくないものはどれか。
世界遺産条約の理念に大きな影響を与えたのが、(①ナイル川河口域)にあるヌビア地方の遺跡群を救済するキャンペーンである。(②アスワン・ハイ・ダムの建設)にともない水没の危機にさらされたアブ・シンベル神殿や(③フィラエのイシス神殿)などの救済を目的に、約50ヵ国もの国々や民間団体、個人が協力して(④経済開発と遺産保護)の両立という難問に対処した。

①ナイル川河口域
②アスワン・ハイ・ダムの建設
③フィラエのイシス神殿
④経済開発と遺産保護

[2]世界遺産条約に関連する出来事が起こった順番に並べたものとして、正しいものはどれか。
A.国際人間環境会議が開催された
B.「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)」が採択された
C.グローバル・ストラテジーが採択された

①A ⇒ B ⇒ C
②A ⇒ C ⇒ B
③B ⇒ A ⇒ C
④C ⇒ B ⇒ A

[3]「歴史的記念建造物に関する建築家・技術者国際会議」で採択された「ヴェネツィア憲章」の説明として、正しいものはどれか。

①ヴェネツィア憲章において、「完全性」という概念が示された
②ヴェネツィア憲章の考え方に基づきICOMOSが設立された
③遺産の修復の際には近代的な技術や材料の使用を推奨している
④ヴェネツィア憲章の採択を受け、アテネ憲章が採択された

④解答とエンディング

解答 [1] ① [2] ③ [3] ②

いかがでしたでしょうか。
本日は3問ご用意しましたが、3級に比べると難易度が上がってきているのがわかりますね。
2級検定の平均点は3級に比べると下がりますので、3級を難なくクリアした方も油断は禁物です。
確実な知識にすべく毎日コツコツ積み上げていきましょう。

ではまた。

tomo

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