平泉・日本独自の浄土思想
- By: Tomo
- カテゴリー: 世界遺産検定3級4級

さて、早速ですが、本日学びます世界遺産は岩手県にある平泉です。中尊寺で有名な平泉ですが、『平泉ー*仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー』と、少し長い呼び名で、文化遺産として登録されています。
*仏国土(浄土):理想の世界とされる仏の国

①基本情報
登録年は2011年
登録基準は②⑥ 岩手県にある文化遺産
*構成遺産:中尊寺、金鶏山、無量光院跡、毛越寺、観自在押印跡 *構成遺産:世界遺産に含まれる資産。
②基礎知識
平泉は、*藤原清衡(ふじわらのきよひら)が*浄土思想に基づき築いた理想郷である。 長い戦乱において妻子を含む一族の多くを失った清衡は、11世紀末に奥州を支配したあと、戦乱で亡くなったすべての霊を、敵味方の区別なく慰めるための仏国土(浄土)を現世につくりあげることを決意した。 政治・行政の拠点とするために平泉に移り住んだ清衡は、平泉をこの世の仏国土とするため、その中心として最初に*中尊寺を設立した。
平泉はその後も2代基衡(もとひら)と3代秀衡(ひでひら)の下で金や馬の産地として栄える。 浄土の再現を目指した毛越寺(もうつうじ)や無量光院(むりょうこういん)、観自在王院(かんじざいおういん)などが築かれ、平和な世の中が実現したが、4代泰衡(やすひら)のときに、源義経をかくまったことをとがめた源頼朝によって滅ぼされ、奥州藤原氏の反映は100年で幕を閉じた。
その500年後、俳人松尾芭蕉が平泉を訪れ、『奥の細道』で詠んだ句が「夏草や 兵どもが 夢のあと」である。 *藤原清衡:平安時代後期に東北地方一帯を支配した奥州藤原氏初代当主
*浄土思想:死後、阿弥陀仏に作った西方極楽浄土で、仏として生まれ変わることができると説く教え。
中尊寺
12世紀初頭から20年以上かけて築かれた寺院。金剛堂には清衡と基衡、秀衡の遺体のほか、泰衡の首級(しるし。敵を討ち取った印とした首)が納められている。
毛越寺の浄土庭園
12世紀中ごろに基衡が築いた寺院。「大泉が池」を中心とした庭園は、緩やかな曲線や砂州、立石などで仏国土を表す

観自在王院跡
2代基衡の妻により建立された。東西約120m、南北約240mの寺域に大小の阿弥陀堂と浄土庭園があった。1573年に焼失し、現在は浄土庭園を復元した史跡が残る。

金鶏山
平泉中心部から見る事ができる小高い山で、浄土庭園や居館などを築く際に金鶏山との位置関係が重要な意味を持った。

無量光院跡
秀衡が築いた阿弥陀堂があった場所。京都宇治の平等院鳳凰堂を模していたとされるが、13世紀ごろに焼失し、現在残るのは土塁や礎石のみ。

③似ている世界遺産
ペルシア庭園(イラン・イスラム共和国)

登録年:2011年 登録基準:①②③④⑥
『ペルシア庭園』はイラン国内の各州にある9つの庭園を一つの世界遺産として登録したもの。これらの庭園は、紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシアの初代の王であるキュロス2世の時代にルーツを持つ建築や造園の方法をいまに伝えている。
9つの庭園は、かつてペルシアで信仰されていたゾロアスター教で重視された「空」と「大地」「水」「植物」の4つの要素で構成され、理想郷である「エデンの園」が表現されている。「楽園(パラダイス)」の語源は、ペルシア語の「壁に囲まれた」という意味の言葉だとされており、周囲を壁で囲んだペルシア庭園は、まさに楽園を体現したものと言える。 4つの要素の中でも「水」は最も重視され、水路を道いて幾何学的に四分割した四分庭園(チャハル・バーグ)は、その後インドやヨーロッパの庭園様式に影響を与えた。
④本日の練習問題
本日も世界遺産検定4級の過去問題からの出題です。
[1]平泉で『平泉ー仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー』が世界遺産群に登録されています。仏国土と同じ意味を持つ、理想の世界とされる仏の国を表す語句はなんでしょうか。
①大安
②本願
③忍土
④浄土
[2]『平泉ー仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー』は、どこの県にあるでしょうか。
①福島県
②岩手県
③栃木県
④宮城県
[3]『平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー』のある平泉の地に、浄土思想に基づいた理想郷を作り上げようとした人物は誰でしょうか。
①池田輝政
②鑑真
③藤原清衡
④平清盛
[4]『平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー』に含まれる寺院で、問い[3]の人物が平泉に築いた寺院はどれでしょうか。
①慈照寺(銀閣寺)
②東大寺
③中尊寺
④薬師寺
回答です
[1] ④ [2] ② [3] ③ [4] ③
如何でしたか?
文化遺産などを学ぶ上では歴史や時代背景なども知識として必要になってきますね。小学生の頃から歴史(社会科)の授業が苦手な私としては、人物の名前を覚えるのも一苦労となりそうです。 実はこのblogを作成している間に『平泉ー*仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー』の構成遺産を訪れました。
さすがの中尊寺は、平日でも沢山の観光客で溢れていました。対して無量光院跡は何とも寂しい雰囲気で、散策する方もいらっしゃいませんでした。 焼失してしまう前はこんな素敵な場所だったようですよ。

紅葉の中尊寺散策も、金色堂も一見の価値ありです。
では、また明日
tomo