
この記事は世界遺産検定2級学習用に構成しています。
本日学習する世界遺産は、トルコの「ネムルト・ダーの巨大墳墓」です。
なんとなく何かで見たことあ李ましたが、トルコの世界遺産だったのですね。
では、早速見ていきましょう。
本日もよろしくお願いいたします。
ネムルト・ダーの巨大墳墓
トルコ共和国
<文化遺産>
登録年:1987年
登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ)
聖山の頂に築かれたアンティオコス1世の墓
『ネムルト・ダーの巨大墳墓』は、トルコ南東部のネムルト山の頂上にある遺跡です。
紀元前1世紀にコンマゲネ王国のアンティオコス1世が地震のために築いた墳墓です。
アンティオコス1世は、紀元前69年に即位し、ローマ帝国との交渉で自由を獲得した後、豊富な鉱物資源や交易によって王国を繁栄させました。
アンティオコス1世は、存命中に墓を設けることで自らの神格化を図ったと考えられています。
標高2,206mの聖なる山であるネムルト山の頂に、砕石を積み上げて高さ75m(現在は50m)の巨大な円錐形の墳墓が築かれました。
墳墓が発見されたのは1881年のことでした。
オスマン帝国軍が偶然山頂付近を行軍した際に、山頂部が人工的な建造物であったことが発見されました。
1881年にドイツ出身の技師カール・ゼシュターによって本格的な発掘調査が行われました。
墓室(玄室)も存在するという説が考古学界に支持されているが、まだ通路などもいつかっていません。
細部については現在も解明に至ってはいません。
小石が人工的に積み上げて造られ、崩落の危険性が非常に高く、発掘後の復元の可能性が低いことから、発掘調査はできないと結論づけられているようです。
墳墓のふもとには、ギリシャやペルシアの神々とともにアンティオコス1世自身の石像が置かれています。
それらの石像はヘレニズム文化の象徴であり、コンマゲネ王国がギリシャとペルシアの双方から強い影響を受けていたことの証とされています。
王や神々の石像は座して並んでおり、それぞれの像に名前が刻まれていますが、いずれの坐像も首から上がありません。
それらの頭部は像の足元に散在し、一部は鼻が損壊されています。
これについては、地震のために頭部が転げ落ちたとする説と、イスラム教徒による偶像破壊運動の一環とする説が挙がっています。
墳墓の北側に位置するテラスの両橋には、装飾された80mの壁があり、複数の石板が置かれています。
アンティオコス1世が神々と握手をする図柄が描かれた石板には、偉大な神々と対等の存在になりたいと願った王の思いがあらわれています。
また、「王の星占い」と呼ばれるレリーフが施された石板には獅子や星々が彫られています。
これらは紀元前62年7月7日に水星と火星、金星が一直線に並ぶように描かれています。
この日はアンティオコス1世がローマ帝国からこの地を託された日とされています。
練習問題
[1]古代ギリシャ文化の影響が一部にみられる『トロイアの考古遺跡』と『ネムトル・ダーの巨大墳墓』の保有国として、正しいものはどれか。
①ギリシャ共和国
②エジプト・アラブ共和国
③トルコ共和国
④イタリア共和国
[2]『ネムトル・ダーの巨大墳墓』に関する説明として、正しくないものはどれか。
①コンマゲネ王国のアンティオコス1世が自身のために築いた墓
②墳墓は1881年に発見された
③墓室へは遺跡の北側から約50mほどの通路がつながっている
④ギリシャとペルシアの双方から強い影響を受けている
解答とエンディング
解答 [1]③ [2]③
いかがでしたでしょうか。
『ネムトル・ダーの巨大墳墓』に関しては、今後の調査が難しいとされていますが、非接触で可能な調査方法が開発されれば遺跡の内部もいつかは解明されるかもしれませんね。
意外と何も出てこないという可能性もありますが。
遺跡は崩れてしまっているところが多いようですが、建設された当時の姿を見てみたかったですね。
で本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
では、また明日もお待ちしています。
tomo
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