文化の多様性③大ジンバブエ遺跡、他

世界遺産検定2級

この記事は世界遺産検定2級学習用に構成しています。

本日の学習は、遺跡です。
どれも興味深い歴史を持っています。
皆さんはどの世界遺産が気になりますか?
◆大ジンバブエ遺跡
◆マサダ国立公園
◆ティムリカ・オヒンガの考古遺跡

大ジンバブエ遺跡については3級の記事はこちら

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くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト<第3版>

本日もよろしくお願いいたします。

①大ジンバブエ遺跡

ジンバブエ共和国
<文化遺産>
登録年:1986年
登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅵ)
ショナ族が残した石造りの遺構

ジンバブエ共和国の首都ハラレから南方300kmのジンバブエ高原の南端、サビ川の上流の標高約1000mに位置する、大規模な石造建築遺跡です。
ショナ族が11〜15世紀に築いた都市遺跡で、「アクロポリス」と「神殿」、「谷の遺跡」から成っています。

ジンバブエとはショナ語で「石の家」を意味しており、国の名前にもなりました。
最も大規模で著名なこの遺跡を指すときは、語頭に「グレート」を付けるのが慣例となっているそうで、「グレート・ジンバブエ」の名称が用いられています。
周囲の集落を含め、推定面積は東西1.5km、南北1.5kmの約2km2におよぶと考えられています。

丘の上の「アクロポリス」は王の都市であったと考えられています。
大きく西のエリアと東のエリアに区分されています。
西のエリアは、王ないし首長が政治をつかさどった場であると考えられています。
一方、東のエリアでは、祭祀や宗教に関連する遺物が出土しており、また祭壇と思われる遺構から、雨乞いなどの儀式に用いられたと推察されます。
政治の場と祭祀の場が隣り合わせであることから、ジンバブエの支配者たちは祭政一致に近い統治を行っていたと考えられています。

石壁で楕円形に囲まれた「神殿」は、円錐形の塔を挟んで祭祀の空間と生活の空間に分けられていました。
グレートエンクロージャーと呼ばれており、長径89m、外壁の周囲の長さ244m、高さ11m、外壁の基部の厚さは6mにも成ります。
大きく東側と西側に区分され、西側部分の構造は「谷の遺跡」と類似しており、居住の場であったようです。
また東側には、直径5.5m、高さ9mを超える円錘形の塔が建てられており、宗教的祭祀的な空間であったと考えられています。

「谷の遺跡」には、高度な技術で築かれた石の住居が並んでいます。
「アクロポリス」の南方400~500mほどの位置に広がり、ジンバブエの王ないし首長の妻たちと子どもたちの住居であったと考えられています。
最も大きな遺構は、直径10mを超える円形の壁をもつ大きな住居であり、それらは草葺きの屋根であったと推察されています。

最盛期の15世紀には約2万人が暮らしていましたが、1450年ごろに放棄されました。
経済等の衰退に加え、15世紀後半頃に一定規模の気候変化、旱魃、飢饉等のなんらかの天災がおきたと考えられています。

②マサダ国立公園

イスラエル国
<文化遺産>
登録年:2001年
登録基準:(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)

死海西岸に位置するマサダには、紀元前1世紀にユダヤ王国のヘロデ王が築いた冬の離宮兼要塞の跡が残っています。
死海を眼下にみる天然の地形を利用した要塞へは「蛇の道」と呼ばれる細い登山道が一本あるのみ、周囲は切り立った崖で難攻不落と言われました。

1世紀にローマ軍に首都エルサレムを奪われた約1000人のユダヤ人が、この地で籠城して2年以上抵抗したが陥落し、集団自決を遂げた歴史を持つ。
この悲劇により、マサダはユダヤ人結束のシンボルとなっています。

マサダ陥落によってユダヤ戦争は終結し、陥落後のマサダはローマ軍により徹底破壊されました。
長い間その所在が分からなくなっていましたが、1838年にドイツ人考古学者によってその所在が確認されました。

<集団自決まで>
66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起しユダヤ戦争が勃発しました。
70年、ティトゥスの指揮するローマ軍団によってユダヤ側の本拠地であったエルサレムが陥落すると、エルアザル・ベン・ヤイルに率いられたユダヤ人集団967人が包囲を逃れ、マサダに立てこもりました。
籠城したのは兵士のみではなく、多くの女性や子供も含まれていました。

1万5千のローマ軍団が周囲を包囲しましたが、マサダの峻厳な地形に攻めあぐねていました。
やがてローマ軍はユダヤの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始しました。
ユダヤ側は執拗に防戦したものの、2年がかりで山腹は着実に埋められ、やがてマサダの陥落は目前となりました。

敗北が確実となったある日、指導者たちは集まって今後の方針を協議しました。
抵抗を続ければ全員が殺され、降伏すれば全員が奴隷となるのが当時の習慣でした。
奴隷となるより死をとの結論に至り、籠城していたユダヤ人は、突入の前夜に全員が集団自決をしました。

73年5月2日、ローマ軍部隊は完成した侵入路を通り城内に突入した際に防戦する者は1人もいませんでした。
ユダヤ戦記によると穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと伝えられています。

③ティムリカ・オヒンガの考古遺跡

ケニア共和国
<文化遺産>
登録年:2018年
登録基準:(ⅲ)(ⅳ)(ⅴ)

ケニアの西部のヴィクトリア湖に近い都市ミゴリの北西にあるティムリカ・オヒンガは、16世紀に築かれたと考えられている石垣に囲まれた集落跡です。
オヒンガの高さは1.5~4.5m、厚さは1.0m前後で、直径は140mに及ぶものもあります。
現在この地域に多く住むルオ族がこの地に定住しはじめたのは3世紀ほど前からであるため、ティムリカ・オヒンガはそれ以前にこの地域に定住していた民族により建設されたものと考えられています。

石を積み上げて造られたオヒンガは、主に集落と家畜を外敵から守るために機能していたと考えられています。
外側と内側が別々に造られており、中間層によって一つの壁が形成されています。
ティムリカ・オヒンガの石材は、この地域の丘陵地帯に豊富にある岩が用いられています。


集落を意味する「オヒンガ」は、集落の住民や家畜を守る砦の役割を果たすと同時に、種族間の社会的なつながり関係性を明らかにするものでした。
ティムリカ・オヒンガはその中でも大きく保存状態のよいものです。
ティムリカ・オヒンガの遺跡は、メインのオヒンガであるKochiengとその他Kakuku、Koketch、Koluochと呼ばれる4つのオヒンガで構成されています。
住居エリアには、この家畜の囲い以外の構造物はほとんど残っておらず、住居跡と思われる穴などの遺構がわずかに残るのみとなっているそうです。

④練習問題

[1]『大ジンバブエ遺跡』に関して、「アクロポリス」と「神殿」、「谷の遺跡」から成る都市遺跡を11〜15世紀に築いた民族として、正しいものはどれか。

①客家
②ショナ族
③サン族
④ドゴン族

[2]70年にローマ軍団によってユダヤ人の本拠地エルサレムが陥落した後、ユダヤ人集団が包囲を逃れ2年以上の間籠城した場所として、正しいものはどれか。

①ジンバブエ
②バンディアガラ
③マサダ
④アブー・メナー

[3]『ティムリカ・オヒンガの考古遺跡』を保有する国として、正しいものはどれか。

①マリ共和国
②ウガンダ共和国
③南アフリカ共和国
④ケニア共和国

⑤解答とエンディング

解答 [1]② [2]③ [4]④

いかがでしたでしょうか。
マサダ国立公園に関して、以前テレビ番組で偶然その歴史について知って、すごく興味を惹かれた場所です。
イスラエルというとなかな気軽に訪れられるような場所ではありませんが、この場所に立って感じてみたいものがあるな、と思ったりします。

皆様は、どこか気になった場所はありましたか?
よかったら気軽にコメント欄にでも書き込んでくださいね。

では、また明日もお待ちしています。

tomo

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