
この記事は世界遺産検定2級学習用に構成しています。
本日は大韓民国の世界遺産です。
他国の仏教関連遺産にもよくある話ですが、信仰の廃れにより忘れ去られた遺跡が1900年代に見つかったという過去を持ちます。
韓国にある世界遺産なので、訪れたことがある方もいらっしゃるでしょうか?
昨年までの過去問題を見る限りは、出題されやすい世界遺産となっています。
しっかり押さえておくとおさそうです。
本日もよろしくお願いいたします。
石窟庵と仏国寺
大韓民国
<自然遺産>
登録年:1995年
登録基準:(ⅰ)(ⅳ)
統一新羅王朝を代表する仏教寺院
韓国南東部に位置する『石窟庵と仏国寺』は、かつて*統一新羅の都であった慶州郊外の吐含山中にあります。
仏国土を再現した仏教建築として世界的に知られ、仏教芸術の傑作といわれています。
統一新羅:百済、高句麗を滅ぼし、676年に朝鮮半島の統一国家となった。律令制度を採用する中央集権的な国家であった。
751年に統一大雄殿羅王朝の宰相であった金大城が、前世の父母のために石窟庵(当初の名称は石仏寺)を、現世の父母のために仏国寺の建立を開始したと伝えられています。
<石窟庵>
吐含山の山頂近くにある石窟庵は、方形の前室とドーム型の天井を持つ円形の主室を、扉道と呼ばれる短い通路でつないだ前方後円型の人口の石窟寺院です。
これはインドや中国に見られるような自然の岩をくりむいたものではなく、削り出した花こう岩をひとつづつ積み上げて築かれています。
主室には、純白の花こう岩を彫ってつくられた如来坐像が置かれています。
本尊が向く東南東方向を辿ると、統一新羅の英主、文武王が眠る海中陵に行き当たります。

やがて朝鮮王朝時代になって仏教の信仰が廃れ、石窟庵の仏像群を知る人も少なくなりました。
その後1909年に山中の洞窟で雨宿りをした郵便配達夫によって発見されました。
当時の石窟庵は倒壊寸前でありましたが、日本の協力で大規模な修復工事が行われました。
<仏国寺>
吐含山の山麓に774年に完成した仏国寺は、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した1593年の文禄の役の際に主要建造物が焼失してしまいました。
その後、修復を繰り返しながら1973年の大改修を経て今日の姿となりました。
創建当時には現在の10倍の規模があったと伝えられています。

正門から参道に向かったところにある石垣の上には、伽藍が設けられています。
仏国寺の伽藍は、大雄殿、極楽殿、毘盧殿を中心とする3つの領域に区分されています。
伽藍はそれぞれ現世の娑婆世界、天界の西方極楽浄土世界、来世の蓮華大蔵世界を表すとされています。
大雄殿の多宝塔と釈迦塔は、8世紀なかごろのものといわれています。
練習問題
[1]『石窟庵と仏国寺』の説明として、正しいものはどれか。
①統一新羅王朝の宰相である金大城が築いた
②北魏の皇帝を含む5人の皇帝を模した大仏が残る
③黄帝が仙人となった場所とされる、道教および仏教の聖地に築かれた
④仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ今日の3つの宗教の石窟寺院が立ち並ぶ
[2]『古都奈良の文化財』に含まれる「平城宮跡」の説明として、正しくないものはどれか。
①8世紀の都市設計や生活様式を伝える重要な資料とされる
②平城宮跡の敷地内に薬師寺や興福寺が建つ
③近年では遺跡の発掘調査や建造物の復元が進んでいる
④長岡京へ遷都した後に放棄され土に埋もれていた
解答とエンディング
解答 [1]① [2]②
『古都奈良の文化財』学習リンクはこちら
いかがでしたでしょうか。
新羅は、シルラと呼ばれますが、「シラギ」という呼び名の方を聞いたことがあるかなと思います。
朝鮮半島の歴史を知らないと、なかなか場所や時代がイメージしにくいですね。
この先の学習で、この地域の世界遺産も出てくると思うので、少しずつ理解を深めていきたいと思います。
本日もここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
明日もお待ちしています。
tomo
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