
この記事は世界遺産検定2級学習用に構成しています。
本日から仏教にまつわる世界遺産を学びます。
本日学習する『サーンチーの仏教遺跡』は紀元前から残されたもので、損傷の少ない状態で残されました。
それには理由があるようですが。。。
楽しみながら学びましょう。
本日もよろしくお願いいたします。
サーンチーの仏教遺跡
インド
<文化遺産>
登録年:1989年
登録基準:(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)
長い年月をかけて築かれた仏教遺跡群
インド中部のサーンチーの仏教遺跡は、3つの大型ストゥーパ(仏塔)と祠堂、僧院などが残る。
紀元前3〜後12世紀につくられた仏教建造物が残る初期仏教の巡礼地です。
この遺跡は19世紀にイギリスのテイラー将軍が発見しました。
何世紀も前から廃墟になっていたため、発見当時、あたりには木や草が茂り、遺跡を覆い隠してたという。
古代インドで支配的な宗教であった仏教は、インド亜大陸全土に寺院や僧院、ストゥーパを建造しました。
しかし、その大半は仏教の衰退と共に崩れ、焼け落ち、破壊されて、消え失せてしまいました。
そんな中、サーンチーの丘は樹木でおおわれており、人々から忘れ去られていたため、かえって破壊を免れ、紀元前後のストゥーパ群が良い状態で残されていました。
20世紀初頭に本格的な調査が始まり、インドにおける仏教繁栄の歴史の中で、仏教の一大中心地として機能していたことがわかかりました。
もっと古い第1ストゥーパーは、仏教の庇護者であった*アショーカ王が各地につくった8万4,000千のストゥーパのひとつを核としています。
ドーム状をしたストゥーパは、高さ約16m、基壇の直径は約36mにもなります。
基本的な部分は紀元前3世紀に作られ、紀元前2世紀末期、今に伝わる大規模なストゥーパに拡張されたと考えられています。
ストゥーパの構成は、ほぼ半球形の覆鉢の頂部を平らに削り、そこを柵で正方形に囲って平頭をなしています。
ここに舎利容器を納めたと考えられていますが、調査の結果、第1ストゥーパのこの場所は空だったそうです。
平頭の中心には傘竿が立ち、その上部に三重の傘蓋がのっています。

ストゥーパの周囲には、東西南北の4方向にトナラと呼ばれる大きな門が設置され、精緻が施されています。
このレリーフは象牙を掘る職人が浮き彫りで仕上げ、シッダールタ太子(ブッダの幼少時代)が城を出発したシーンなどが描かれていました。
仏像がつくられ始める前であったため、ブッダは象徴的に表現されています。
アショーカ王:生涯年齢不詳。紀元前3世紀頃のマウリヤ朝3代国王。インドのほぼ全域を統一。仏教に深く帰依した。
練習問題
[1]『サーンチーの仏教遺跡』に関する、次の文中の空欄に入る人物として、正しいものはどれか。
『サーンチーの仏教遺跡』の中で、もっと古い第1ストゥーパーは、仏教の庇護者であった( )が各地につくった8万4,000千のストゥーパのひとつを核としている。
①パルカン王
②アショーカ王
③ソンツェン・ガンポ王
④スネフェル王
[2]『神宿る島』宗方・沖ノ島と関連遺産群」の説明として、正しいものはどれか。
①沖ノ島には、邪馬台国の卑弥呼の陵墓と考えられる古墳がある
②遺構からは大陸から伝来した仏教を日本が受容する過程がうかがえる
③戦国時代に、沖ノ島で航海の安全を祈願する国際的祭祀が行われた
④遺構からは、東アジアとの交易品がかず多く出土している
[3]『古都奈良の文化財』の説明として、正しいものはどれか。
①1,000年以上にわたり手付かずの自然が残る春日原生林も構成資産に含まれる
②大陸との交流が途絶えた後に、日本独自の文化が開花したことを示す
③蘇我氏の全盛期を象徴する寺院からなる
④奈良県外の構成資産として、滋賀県の比叡山延暦寺を含む
解答とエンディング
解答 [1]② [2]④ [3]①
いかがでしたでしょうか。
問題[2]と[3]の学習リンクも貼っておきます。
日本の遺産⑮宗像・沖ノ島
日本の遺産⑧古都奈良の文化財
紀元前から存在する遺構というのは、それほど多くありませんので、本当に貴重なものですね。
しかもこんなにも綺麗な状態で保存されているとは驚きです。
仏教の奥深い歴史についての学習に数日間おつきあいください。
では、また明日もお待ちしています。
tomo
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