アメリカ大陸の文明(イースター島のモアイ・ナスカの地上絵)

本日の世界遺産も南米で非常に有名な「モアイ像」と「地上絵」です。
正式には、モアイ像のあるイースター島の世界遺産は『ラパ・ニュイ国立公園』という名称になっています。
あまり馴染みのない名称ですがこの機会に覚えたいと思います。
そして、地上絵も含め、本日の世界遺産は私が子供の頃から憧れている場所でもあります。

『ナスカとパルパの地上絵』については、4級の学習でも学んだ世界遺産です(こちらを参照

では、世界の7不思議として注目を浴びてきた2つの世界遺産について学びたいと思います。

①ラパ・ニュイ国立公園

登録年:1995年
登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅴ)
孤島に並ぶ謎の多いポリネシア文化の遺産

海に背を向けて建つモアイ像で有名なラパ・ニュイ国立公園は、チリの海岸から西へ約3700kmの南太平洋のパスクア島全域を範囲とする。
最も近い有人島まで直線距離2000km余と、周囲にはほとんど島らしい島が存在しない絶海の孤島となっている。
ラパ・ニュイは、先住民の言葉で「輝ける偉大な島」である。

1722年のイースター(復活祭)の日に西欧人に「発見」されたことから、イースター島と呼ばれる。
島の正式名称は、チリの公用語であるスペイン語でイースターを意味するパスクア島である。

人口の増加による自然生態系の破壊や、19世紀に多くの島民が奴隷として連れ去られたこと、そして天然痘の流行など様々な原因により人口が激減した。
それ以来、島の文化は途絶えたことで、現在でも文化や歴史に対する謎が多い。
島の西南部のオロンゴ岬には、先住民族の信仰対象である最高神マケマケに捧げる祭事場の跡も残る。

マケマケ:イースター島のラパ・ヌイ神話において、人間を創造した神。豊穣の神でもあり、またタンガタ・マヌすなわち鳥人信仰(モアイ以前の時代に盛んだった信仰)における最高神でもある。

4世紀ごろ、モアイ建造を始めたのはポリネシア系の長耳族であった。
南米から耳短族が移住してきると、以前は5〜7mだったものが巨大化し、10mを超える像も作られるようになった。

16世紀ごろに始まった部族間の衝突により、互いのモアイを倒しあう「フリ・モアイ」が起こり、続く18世紀には島の権力が貴族階級から戦士階級に移ると、モアイ像は建造されなくなた。

モアイ像に使われている石は、かつて石切り場だった島東部のラノ・ララク火山周辺で採れる軟質の凝灰岩(ぎょうかいがん)である。
モアイ像が作られた理由は、先住民の貴族階級の先祖を祀るため、という説が有力である。

 

②ナスカとパルパの地上絵(ペルー共和国)

登録年:1994年
登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ)
20世紀考古学上最大の発見のひとつ

巨大な地上絵は、ペルー南部のナスカとパルパにかけて平原一帯の地表に溝を掘って描かれている。
赤黒く変色した石の破片で覆われた地表に深さ約10〜15cm、幅約20〜60cmの溝を掘り、下の黄土色の層を露出させて描かれた。
この地域は年間降水量が少なく、絵が消えずに残った

ドイル人数学者のマリア・ライへが1946年に始めた調査で、約450㎢にわたって描かれた遺跡群の詳細が明らかとなった。
制作年代は、前200〜後500年ごろとされ、紀元前後から9世紀にこの地域で発展したとされるナスカ文化との関連性が指摘されている。
1977年、ペルー政府により反故地区に指定され、立ち入りが禁止されているため、観光客はセスナ機に乗って空から見学する。

地上絵は約70の動植物の絵、700本以上の幾何学文様(三角形・台形・渦巻き・線)で、その全長も10〜300mと様々である。
中でも「コンドル」(135m)、「宇宙飛行士」(32m)、動物の絵としては最長の「ペリカン」(285m)などが有名である。
「イヌ(ジャッカル)」は足の指が3本しかない奇形で、ナスカ文化が奇形を神に近い存在と考えていたためであるとされる。

尾の長い「サル」の地上絵

これらの巨大な地上絵が描かれた理由は明らかになっていない。
農耕暦との関係や地下水脈との位置関係などから、農耕の儀礼と関係があるとも考えられている。

また近年も新しい地上絵が発見されており、山形大学は2012年をナスカ研究所を現地に設置して、地上絵の研究と保護において主導的な役割を果たしている。

 

③本日の練習問題

本日は、世界遺産検定3級の過去問題および、世界遺産検定HP「せかけんクイズ」引用からの出題です。

[1]ラパ・ニュイでかつて行われた「フリ・モアイ」とは何でしょうか?

①部族同士のモアイ像の倒しあい
②マケマケ神をまつる儀式
③モアイ像の開眼式
④モアイ像を担いで練り歩く大行進

[2]『ナスカとパルパの地上絵』の説明として、正しいものはどれか

①地上にはさまざまな文様のほか、マヤ文字も描かれている
②地上絵を環状列石が取り囲んでいる
③18世紀の復活祭の日に西洋人によって発見された
④年間降水量が少ない地域のため、絵が消えずに残った

以下回答です

[1] ① [2] ④

いかがでしたか。

本日は現代でも多くの謎が残る南米の世界遺産について学びました。
パスクア島で、長耳族と耳短族が争いを始めた原因は人口の増加と自然破壊等による食糧不足(食糧難)だったようです。
モアイを作るのにも運んだり立てたりするのに沢山の木材を必要としたそうです。
「フリ・モアイ」は互いのモアイを倒すということでしたが、モアイは目に霊力(マナ)が宿ると考えられていたため、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊することが、その部族への攻撃でした。「フリ・モアイ」は約50年ほど続いたようです。

森林伐採は結果として家屋やカヌーなどのインフラ整備を不可能にし、ヨーロッパ人が到達したときは島民の生活は石器時代とほとんど変わらないものになっていたそうです。
その後、島民は奴隷として島外に連れ出されるなど、暗い時代が続きます。
謎めいた島の歴史は、世界遺産としての魅力とは裏腹に悲しく残酷なものだったりするのですね。

では、また明日、お待ちしています。

tomo

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