アメリカ大陸の文明(マチュピチュ・チチェンイツァ)

本日は、とても有名な世界遺産かつ、世界遺産好きでなくとも海外旅行が好きな人なら一度は憧れるであろう場所、「マチュ・ピチュ」。数少ない世界複合遺産の一つです。
そしてもう一つはマヤ文明の遺跡の代表格、エル・カスティーリョです。

過去に南米を旅行した際に、ずっと夢であったマチュ・ピチュを訪れることができました。
4級の学習では琉球王国のグスク跡の時に紹介しています(こちら

①マチュ・ピチュ(ペルー共和国)

登録年:1983年
登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅶ)(ⅸ)
インカの高い文明を物語る空中都市遺跡

インカ帝国は、15世紀に周辺の国を統一したインカ族により建設された。
インカ帝国は文字を持たない社会そして文明であった。

「マチュ・ピチュ」はこのころペルー南部のアンデス山脈のワイナ・ピチュ(若い峰)の隣の尾根に築かれた都市で、ケチュア語で「老いた峰」という意味である。

太陽を祀る儀式が行われたと考えられているインティワタナのある神殿、道路、トウモロコシやジャガイモなどの段々畑などの遺構は、太陽の化身とされる皇帝を頂点とした神権政治のもとで、多くの人が大規模工事に動員されていたことを示している。

施設の多くがインカ帝国の太陽崇拝において重要な役割を果たしていたと考えられており、夏至と冬至を観測できる窓がある「太陽の神殿」など帝国の天文技術の水準の高さを今日に伝えている。
更に充実した灌漑施設水汲み場の跡が、高度な文明のもとで計画的に建設された都市であることをうかがわせる。

また手付かずの自然が残されている点も評価され、複合遺産として世界遺産登録された。
周囲の山々には、絶滅の危機に瀕するアンデス岩ドリやオセロット、珍獣のメガネグマが生息している。

最後の皇帝アタワルパがスペインの征服者によって処刑され、インカ帝国はマチュ・ピチュを放棄した。

その後インカ帝国の残党がビルカバンバという都市を築き、財宝を隠したという噂が広まった。
1911年に「マチュ・ピチュ」を発見したアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムは、この壮大な石造り都市をビルカバンバだと信じて発表した。

マチュ・ピチュの発見は世界中で話題となった。しかし、この地はビルカバンバではないとの見解が現在では有力である。

インカ帝国<文字を持たない高度な文明>

マチュ・ピチュの都市建設に不明な点が多いのは、インカ帝国が文字を持たない文明であったことに大きく起因している。
文字を使わないかわりに、インカ族は縄の結び目「キープ」を用いて数などを記録し、情報を伝えていたことがわかっている。

 

英語で読む世界遺産

Machu Picchu is an archaeological site of the Inca Empire which flourished in the Andes Mountains in the 15th century.
Many structures making up this outstanding religious, astronomical and agricultural center are set on a steep ridge.
Because of its outstanding natural surroundings, it is inscribed as a mixed site.

②チチェン・イツァ(メキシコ合衆国)

登録年:1988年
登録基準:(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)
マヤ文明とトルテカ文明が融合する都市遺跡

メキシコ東部ユカタン半島北部のチチェン・イツァは、密林の中の都市遺跡群である。
チチェンとはマヤ語で「泉のほとり」、イツァは「魔術師」を意味し、半島最大級のセノーテ(地下泉)の上に築かれた都市であった。
チチェン・イツァは、10世紀以前にイツァ族が築いたマヤ文明の遺構が残る南部の旧チチェンと、10世紀以降のトルテカ文明の遺構が残る北部のチチェンに二分される。

両区域には、マヤ文明の高度な天文知識を示す遺構がある。
旧チチェンの円形の塔カラコル(カタツムリの意)は古代の天体観測所であったと考えられており、新チチェンのエル・カスティーリョ(城塞)と呼ばれる、頂上にククルカン(ケツァルコアトル)神殿が建つ階段状のピラミッドは、階段とレリーフの数がマヤ歴に関連するとされている。

 

また、ピラミッド東側の戦士の神殿には、豊穣祈願の儀式の際に、人間の心臓がいけにえとして置かれたといわれるチャクモールの像が残る。

チャクモール

古典期終末から後古典期にかけてメソアメリカ全域において見られる、仰向けの状態でひじをつくような姿勢で上半身を起こして、顔を90度横へ向け、両手で腹部の上に皿や鉢のような容器をかかえてひざを折り曲げている人物像のことをいう。 チャクモールは死んだ戦士を象徴し、神へいけにえなどの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓が太陽への捧げ物として置かれたといわれる。

 

③本日の練習問題

世界遺産検定3級の過去問題からの出題です。

[1]『マチュ・ピチュ』の説明として、正しいものはどれか

①世界で最初に世界遺産登録された物件の一つである
②インカ族が紀元前に建設した都市遺跡である。
③高度な文明の元で築かれた灌漑施設と水汲み場の跡がある
④頂上に神殿をもつ階段状のピラミッドがある

[2]『チチェン・イツァの古代都市』に関する以下の文中の空欄に当てはまる語句として正しいものはどれか
チチェン・イツァは、南部の旧チチェンと北部の新チチェンに分かれ、新チチェンには、10世紀以降の(   )の遺構がある。

①ナスカ文明
②プレ・インカ文明
③アステカ文明
④マヤ・トルテカ文明

以下回答です。

[1] ③ [2] ④

いかがでしたか?

世界遺産を学ぶとそこには、争いや侵略の歴史が付きまとうものですね。
インカ帝国が滅んでしまったことにより、その存在を知る人がいなくなってしまったマチュ・ピチュ。
その発見はまさに世紀の大発見だったに違いありません。
インカ帝国は、スペインの侵略だけでなく天然痘の伝染によってもその規模を縮小しました。
侵略や病気により滅びることなく、純粋なインカ帝国が歴史をつないでいたら、また違う景色が見られたかもしれませんね。

昨今の異常気象による大雨の影響なども心配ではありますが、何度見ても感動を覚えるその姿、その景色がいつまでも残ると良いなと思います。

では、また明日もお待ちしています。

tomo

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